私がもう一度、癌をやったら、たぶんもう終わりでしょう、そういう認識です。ですから、残りの人生という認識は持ってはいませんが、今、生きているという現実を見据えて、今という、このひと時を楽しく過ごすことに全力を尽くし、そして最高の人生にしたいと思っています。
今日は、新社長の就任パーティを多治見市の真心マシンにて行います。
このお店は大変美味しいです。
是非、一度行ってみてください。
きっと、ファンになると思います。
そんな、お気に入りのお店で新社長の食事会を行います。
陽気に、楽しく、ワイワイ語らい、美味しい食事に舌鼓を打ちながらみんなで一緒に新社長の就任を祝いましょう。
私が平成9年の1997年、45歳の時にこの日成ホームの前身である、古橋ペイントを自宅にて立ち上げました。
日本メディアシステムを退職して、この結構な歳の時には次に勤める会社のあてもありませんでした。
リフォーム業界の仕事はありました。
全てが飛び込み営業のような感じです。
三州ペイントにお世話になり、3ヶ月でこの仕事のすべてを学び、自分でやろうと決めました。
この会社の給与体系では家庭、子供を守っていくのは無理だと判断したからです。
三州ペイントを辞めて、土曜日、日曜日が休日の会社に転職しました。
どうしてもお客様と商談するには、土曜日か日曜日でないと商談ができません。
そこで、勤めながら、古橋ペイントの名刺を作り、三州ペイントのクローザーが決めることができなかったお客様、
2軒をアポを取り、商談をして契約をもらいました。
その2軒のお金を元手に自分の古橋ペイントをスタートさせました。
自宅の2Fの自分の部屋を(6畳間)事務所にしてにて仕事を始めました。
家の前のフェンスに古橋ペイントの小さな看板を付けました。
妻からは大反対です。恥ずかしいとのこと。
子供たちも恥ずかしかったみたいです。
娘の舞ちゃんには、1枚、チラシをポスティングしてくれると10円上げるという約束をして配って貰いましたが、
すぐに帰ってきます。どうしたのと聞くと友達がいて恥ずかしくて帰ってきたとのことです。
そうなんです、まだ誇りを持てる環境ではありませんでした。
商圏も、市之倉ハイランドとホワイトタウンという狭い活動地域です。
1軒、塗装工事が終わる前に次の現場を確保しないといけません。
本当に綱渡りの生活です。
三州ペイントの仕事の仕方が、ある地域の場所を決めてチラシをポスティングをして、その家に電話をしてアポを取るというスタイルでした。
そのやり方を真似ていたのですが。ある時に、本屋に行ってチラシを新聞の折り込みに入れるというやり方があることに気づかされました。
早速、チラシのデザインを考えて、新聞の折り込みに入れました。
そうしたら、ドドっと仕事の電話が鳴り響きました。
やったーです。
当時は、今ほどには織り込みチラシの成果が悪いという環境ではありませんでした。
まだ完全に塗装の知識を身に付けたわけではありません。
知識もない、お金もない、無いないづくしです。
美濃加茂の渡辺塗料店に取引を頼みに行っても、断られました。
当時はまだ塗装職人さんで、塗料を買ってもお金を払わないという人が結構見えたようです。
どうやったら、取引をお願いできますか?現金前払いなら良いということで、現金前払いでスタートしました。
それから、2,3年経過した頃に後払いで良いよと言って下さいました。
塗装の足場を組みながら、漆喰の職人さんを捜したり、板金屋さんを捜したりです。
その時にタウンページを見て、恵那の新川産業(当時は田口板金さん)さんにアポを取り、駅前の喫茶店でコーヒーを飲みながら
取引の了解をもらいました。
これから、今まで、ズーっと田口板金さん、今の新川産業さんとの取引が継続されています。
本当にありがたいことです。
こうやって、お客様の御要望に応えるべく、仕事の幅を増やしながら、今日までやってこれました。
最初から、リフォーム会社さんに勤めていたなら、なんてこともないことなんですが。
勉強しながら、職人さんを捜しながらという毎日でした。
必死でした。この必死さが、また、面白かったですね。
初めてのパートさんを雇おうと思い、ハイランド内にチラシを配布しました。
この時に来てくれたのがYさんです。
ピンポ-ンとインターホンが鳴り、誰が来たのかなと思い玄関ドアを開けて覗いたら、Yさんが立っていました。
この時も嬉しかったですね。
初めての従業員です。自分でも、どういう風に対応したらよいのか、全くウロウロ状態でした。
今から思えば笑い話です。
多治見の南バローの前に初めての看板を出した時も嬉しかったですね。
これから、皆の前にデビューするんだという気持ちでした。
若い時は楽しかったですね。
毎朝、6時には起きて、チラシをポスティングする人を2名、車に乗せて、多治見市、高蔵寺、を順番にポスティングして回りました。
それから、現場を回り、問題はないか、スムーズに現場が回っているか、チェックの時間です。
営業、現場管理、経理、電話対応、みんな一人で、こなさないといけません。
ちっとも苦労に感じたことはありません。
見とれ、今に見とれという気持ちの塊です。
この時には塗装職人さんも多い時で7名はいましたね。
今から思えばよくやってました。
仕事が終わるのが大体PM9時です。
それから、毎晩、呑みに行ってました。
多い時で、1か月間に多治見で一番高いと言われるS店で支払いが00万円もありました。
夜の1時ぐらいには寝て、また、朝のポスティングです。
全く疲れは感じませんでした。非常に元気でした。
息子が手伝ってくれることになり、これも嬉しかったですね。
なかなかハイランドから出ることもなく、そういう面では、遅れをとったかもしれません。
今では、ショールームも多治見市、恵那市に構え、見栄えは良くなりました。
良くなった分、仕事の問い合わせも数も増えます。
ありがたいことです。
こうやって、私の日成ホームの21年間が過ぎようとしています。
こういう思い入れのある日成ホームも、いよいよ息子の時代に入ろうとしています。
なんとか、是非、成功して欲しいですね。
まだまだ元気なうちは、協力をして、応援をしたいです。
そして、より強固な日成ホームを形創っていきたいですね。
日成ホームに関わる人、皆の幸せを祈っています。
自分の人生です。
一度しかない人生です。
楽しく、悔いのない人生を幸せに過ごしたいですね。
全員で勝ち取りましょう。
記事内に記載されている金額は2020年01月17日時点での費用となります。
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