白川郷や京都などの街並みは調和が取れていており、大変美しいとされています。では、なぜそのような街並みが生まれたのでしょうか。
大昔、それこそ奈良時代や平安時代にも都市計画はありました。平安京では道路を碁盤の目にように設計したことが知られています。現代のような商業施設と官庁街のような複合的な都市計画は戦国時代の楽市楽座に見ることができます。お城の周りに商人を呼び寄せ、城下町を発展させる手法です。これらの街の建設は地産地消が基本でした。地域で産出される木材、土、焼き物を使って建てられていたのです。その地域で産出される建材ですので、街並みが共通性が生まれ、周りの風景とも馴染んでいたのです。
一部の都市部を除き、地産地消は戦後まで続きます。戦後、機能性に優れ、経済性に飛んだ新しい建材が作られました。色材も安く流通するようになってしまうと、日本の原風景は破壊され、美しい街並みが少なくなっていったのです。おそらく歴史的には1954年頃、トタンが流行したそうですから、そのあたりから古く、美しい街並みが消えていったのでしょう。
皮肉なことに工業の現代化と流通の発展が街並みを壊していったのです。この後、高度成長期に入った日本は民間レベルにおいて色彩ガイドラインに沿った都市計画などが進められます。国が本格的に取り組みはじめたのは90年代以降で、景観法の元になる美しい国づくり政策大綱の策定は21世紀まで待たねばなりませんでした。
実は景観法って歴史の浅い法律なのです。現在もホテルオークラ取り壊しなど残念な話が続いています。地震や大火の度に再建してきたという日本の国民性もあるのでしょうが、いろいろと考えさせられますね。
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